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​私たちについて

東京藝術大学DOORプロジェクト4期生です。

私たちは、家庭で育つことが難しい子どもを養育者が家庭に迎え入れて養育する「家庭養護」である、ファミリーホームF家を2度訪問しました。

​そこでは、里親のお母さんとお父さん、3人の子ども、おじいちゃんとおばあちゃんが暮らしていました。

このウェブサイトには、私たちがファミリーホームF家の訪問によって感じたことを、制作物にしたものをまとめています。

My latest projects

里親家庭への2度の訪問で聞いたこと、感じたこと

1度目の訪問:お母さんへのインタビュー

<訪問で印象に残ったこと>

  • 生みの親の情報や出自についてなど、伝えることが難しいけれど大切なことは、「点滴のように少しずつ」何度も伝えているという話。

  • 里子が小学生に入学するとき、生みの親と育ての親、どちらの苗字を名乗るかを子どもの意見を聞きながら決めた。児童養護施設から来た子どもは、施設内では毎食当たり前のように違うメニューの食事をしていから、里親家庭に来て残り物が次の食事に出されることに驚いた…などの具体的なエピソード。

  • 「子どもたちにとっては、家庭で何でもない日常を積み重ねていくことがケアになるのではないかと感じている」という里親さんの言葉。

  • 家族の様々なエピソードを話しながら、里親さんが「ファミリーホームといっても、普通の家族なんですよ」と何度も仰っていたこと。
    →そもそも「普通」とはなんなのか、私たち自身にとっての「普通」の家族とはなんなのか。自分の家庭が普通で、里親家庭が特別という決めつけは安易なのではないかという問いを受けとる。

​2度目の訪問:おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんとの会話、子どもたちと遊ぶ

<訪問で印象に残ったこと>

  • ​児童養護施設から里親家庭にきた当初と、現在とで子どもたちの表情や言動がものすごく変わった。最初はじっと目を見るけれど笑わない、子どもらしい無邪気さがないと感じていたそう。

  • 里親さんは以前は「20代で結婚して、30代で子どもを生んで…」という未来を描いていて、それが自分にとっての普通だった。今は里親をしていて、以前の自分の普通からは離れているけれど、これが今の自分にとっての普通になった。

  • 家の境目がわからなかった。大人が体調を崩すことを知らず、風邪を引いた里親さんを休ませないようにしていたなど、児童養護施設と里親家庭でのギャップを感じたという具体的なエピソード。

  • 1回目の訪問では、「里親家庭=特別」と決めつける違和感を知った。そもそも「普通」の価値観すら人により様々だと感じていた。
    2回目の訪問では、安易に「私たちと同じ普通の家族」としてくくることもまた危うさがあることを感じた。里子には生みの親と暮らせない理由があること、過去に虐待などの辛い体験をしてきているかもしれないことなど、課題的側面も見ないことにはできない。きちんと向き合いたいという気持ちになった。

  • 2度の訪問を経て、「普通」の価値観が広がった。1度目の訪問では、里親家庭が以前より身近に感じられたものの、自分が選択するかもしれない可能性をあまり現実的にとらえられず、自分にとっての「普通」に里親の選択肢がなかった。2度目の訪問を終えて、自分の中の普通が変わっていくことを知った。今後自分も里親になる決断をするかもしれないし、身近にも様々な家族の形があるだろうと考えるなど、以前より自分ごとになった。

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